歌は芝居 [歌うことについて]

カワシマです。
わたくしが派手な服を着るのは、若い頃にデブすぎていろいろな服が着られなかったという怨念もあるのですが、基本的に化ける道具です。女装しているという感じですね。化粧が嫌いなので、そちらでは化けられないため、派手な服で女装するわけです。
女性状態は一種の演技であります。
で、歌もやはり、演技の一種で、芝居に近いものじゃないかと思うのですね。

例えば、キリスト教的な宗教曲の始まり——というより、なぜ教会で歌を歌うのか、ということですが、これは教会の定義付けとしては、天使の真似ごとなのですね。
天使は神を讃える存在です。讃歌を歌っているとは聖書には書かれていませんが(ホザンナとは言ってますけど)、そういう解釈がなされて、天使の歌の地上的再現としてグレゴリオ聖歌のようなものが発展していくわけです。「天使の歌声」とは、教会音楽の理想状態であるわけです。
教会の典礼自体が、天上の真似びだとされている。歌はその一部です。それが独立して、音楽が目的化していくわけですが、宗教曲の場合には、いつもどこかで天上の歌声のイメージがリフレクションしています。
天使の気分になって神を讃える。これも一種の芝居でしょう。
日本人で、キリスト者でなくとも、同じような気分を想像することはできるし、その気になることもできます。瞬間的にでもその気になれれば、真実とあまり変わらないです。

指揮者が、今度受難曲を振りますけど、もともとこれは受難劇という芝居ですね。オペラじゃないけど、まあオペラみたいなものです。大昔は芝居と言ったら宗教劇ぐらいしか許されなかったわけで、受難劇は定番中の定番です。で、芝居ですから、やっぱり歌は演技です。単に音楽的に正しければ良いというものではない。芝居になっていなければ。つまり、セリフを完全に憶えて、位置も振り付けも正しくても、その役が生きられていなければ芝居にならないように、歌の感情も、自分のものにしなければならないということです。

もちろん、第一に技術が大事で、それがなければ、気分だけあってもまったくどうしようもないのですが。思い入れだけたっぷりの大根芝居ではどうしようもない。
今は、とりあえず、技術的な問題の方をクリアしたいという思いの方が、わたくしは強いです。
けれども、歌は芝居だというとらえ方について、少し考えても良いのではないかとも思ったのです。今日の、あまりにもがさつなラターを聞いて……。

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