八ヶ岳合唱フォーラム [歌うことについて]
今日は八ヶ岳合唱フォーラムに参加してきた。
木下牧子先生、岸信介先生の指導で、七曲を歌った。
岸先生は相変わらず楽しい指導。木下先生もとてもフランクな方で、解説がおもしろい。
私は詩について少しお話しさせていただいた。
以下、簡単にまとめた。
【木下牧子先生のお話】
言葉によるフレージング、言葉を立てるということが歌詞のある歌を歌う時には何よりも重要である。
日本語は難しいと言うが、それは間違いで、ほかの言語を良く知らないため、フレージングがうまくいっていなくても気付かないだけである。その言語のネイティヴスピーカーに聞かせれば、言葉がブチブチ切れている、と言われるであろう。また、日本語は日本の聴衆にも分かるので、審判が厳しくなり、批判されやすい。というわけで、日本語の歌が難しいわけではない。
私の場合の三連符は三等分ということではない。これで一つに歌うということであり、一つということは円であるということ。「わたし」で三連符であれば、「わたし」が一つとなりくるんと丸まっている、ということである。
16分音符のつながりなどもそうで、律儀に均等にすれば良いというものではない。言葉の重さで長短がある。そうしたことは歌い手の自由にしても良い(すべてがそうだというわけではないが)。
私の曲には繰り返しが多いが、同じ言葉や同じ旋律が出てくるたびに変えなければならない。同じように歌うのはアホである(笑)。
Altoがもっと出てほしい。Altoに愛情を持って書いている(笑)。Altoだけで単体で出るところは、間の手のようであっても、軽く歌わず、しっかりと歌う。
★各曲について
「夢みたものは」高校二年生の時に書いた曲である(ただしメロディーのみ)。作曲を習い始めて、最初に作曲したのは「白いもの」。高校一年の時のことである。家にあった詩集、萩原朔太郎、立原道造、北原白秋の中から詩を選んだ。この頃は立原のことをなにも知らなくて、ロマンチックな感じになった。
「棗のうた」岸田衿子の詩には自分の音楽が付けやすい。詩が深いようでいて意味がないようで、そういう割り切れない魅力がある。同じ曲集の「古い絵」は難しいのだが、良い曲なのでチャレンジしてみて。
「鴎」
三番あるので、それぞれ歌い方を変えて。真ん中がレガート、最後は前へ前へ出る感じとか。オケ版を聞いてもらうと、私のイメージしている「こんな感じ」というのがわかってもらえると思う。
「小譚詩」
物語なので、言葉が聞こえないとどうしようもない。
「風が風を」
多田智満子はすごく好きな詩人だが、あまり歌に出来ない感じ。このほかにもう一曲作ったが、差別語の関係で楽譜にしなかった。これもやはり物語なので、言葉が重要。私の女声合唱曲には珍しい、力強い感じなので、組立のアクセントになると思う。ぜひ歌ってもらいたい。
【岸信介先生のお話】
ふるえる、遅れる、ぶら下がる、という三重苦に陥らないように。ていうか、一つでもダメ。
発声は体幹がしっかりしていること、深い呼吸、共鳴で成立する。
足の裏が地面にしっかりと着いている感覚があれば、横隔膜を下げ深い呼吸になっているはず。呼吸が浅くなると、足が地に着かない感じになる。
音は集めなければならないが、体を硬くしてはダメで、頭のあたりがばーっと開いている感じで響かなければならない。
体をもっと開いて、声を出すこと。
表情。目で訴えるのだから、目を見開いて、声を出す。そして怖い顔で歌わない。
ただ単に音を伸ばす、などということは、ない。前へ歌っていかなければだめ。止まったら音楽ではない。
出さなければならない子音をよく考えて。拍の頭では母音の音が響かなければならないから、子音はその前に。出だしは特に重要。
フレーズを長く。棒読みでぶちぶち切れるのはまったくダメ。
二度の音程はもっと広い。このことを忘れない。
音は常に和音の中でどの位置を占めているのかということを考えて取ること。
木下牧子先生、岸信介先生の指導で、七曲を歌った。
岸先生は相変わらず楽しい指導。木下先生もとてもフランクな方で、解説がおもしろい。
私は詩について少しお話しさせていただいた。
以下、簡単にまとめた。
【木下牧子先生のお話】
言葉によるフレージング、言葉を立てるということが歌詞のある歌を歌う時には何よりも重要である。
日本語は難しいと言うが、それは間違いで、ほかの言語を良く知らないため、フレージングがうまくいっていなくても気付かないだけである。その言語のネイティヴスピーカーに聞かせれば、言葉がブチブチ切れている、と言われるであろう。また、日本語は日本の聴衆にも分かるので、審判が厳しくなり、批判されやすい。というわけで、日本語の歌が難しいわけではない。
私の場合の三連符は三等分ということではない。これで一つに歌うということであり、一つということは円であるということ。「わたし」で三連符であれば、「わたし」が一つとなりくるんと丸まっている、ということである。
16分音符のつながりなどもそうで、律儀に均等にすれば良いというものではない。言葉の重さで長短がある。そうしたことは歌い手の自由にしても良い(すべてがそうだというわけではないが)。
私の曲には繰り返しが多いが、同じ言葉や同じ旋律が出てくるたびに変えなければならない。同じように歌うのはアホである(笑)。
Altoがもっと出てほしい。Altoに愛情を持って書いている(笑)。Altoだけで単体で出るところは、間の手のようであっても、軽く歌わず、しっかりと歌う。
★各曲について
「夢みたものは」高校二年生の時に書いた曲である(ただしメロディーのみ)。作曲を習い始めて、最初に作曲したのは「白いもの」。高校一年の時のことである。家にあった詩集、萩原朔太郎、立原道造、北原白秋の中から詩を選んだ。この頃は立原のことをなにも知らなくて、ロマンチックな感じになった。
「棗のうた」岸田衿子の詩には自分の音楽が付けやすい。詩が深いようでいて意味がないようで、そういう割り切れない魅力がある。同じ曲集の「古い絵」は難しいのだが、良い曲なのでチャレンジしてみて。
「鴎」
三番あるので、それぞれ歌い方を変えて。真ん中がレガート、最後は前へ前へ出る感じとか。オケ版を聞いてもらうと、私のイメージしている「こんな感じ」というのがわかってもらえると思う。
「小譚詩」
物語なので、言葉が聞こえないとどうしようもない。
「風が風を」
多田智満子はすごく好きな詩人だが、あまり歌に出来ない感じ。このほかにもう一曲作ったが、差別語の関係で楽譜にしなかった。これもやはり物語なので、言葉が重要。私の女声合唱曲には珍しい、力強い感じなので、組立のアクセントになると思う。ぜひ歌ってもらいたい。
【岸信介先生のお話】
ふるえる、遅れる、ぶら下がる、という三重苦に陥らないように。ていうか、一つでもダメ。
発声は体幹がしっかりしていること、深い呼吸、共鳴で成立する。
足の裏が地面にしっかりと着いている感覚があれば、横隔膜を下げ深い呼吸になっているはず。呼吸が浅くなると、足が地に着かない感じになる。
音は集めなければならないが、体を硬くしてはダメで、頭のあたりがばーっと開いている感じで響かなければならない。
体をもっと開いて、声を出すこと。
表情。目で訴えるのだから、目を見開いて、声を出す。そして怖い顔で歌わない。
ただ単に音を伸ばす、などということは、ない。前へ歌っていかなければだめ。止まったら音楽ではない。
出さなければならない子音をよく考えて。拍の頭では母音の音が響かなければならないから、子音はその前に。出だしは特に重要。
フレーズを長く。棒読みでぶちぶち切れるのはまったくダメ。
二度の音程はもっと広い。このことを忘れない。
音は常に和音の中でどの位置を占めているのかということを考えて取ること。
2016-10-19 22:07
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