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歌に祈りをこめて [歌うことについて]

 バード三声のミサを練習中に、依田先生が、キリスト教徒ではない我々がミサ曲をなぜ歌うのか、という問題を提起されたことがありました。
 一つには芸術的に、魅力があるから。これが最も簡単な答え。でも、音の連なり方がおもしろいのでそれを再現した、というだけでは音楽になりません。
 歌は感情を乗せて、芸術として成立するものです。
 ミサ曲の中にある、敬虔、崇高なものやこの世的ではないものへの憧れ、神への感謝といった思いに、共感を抱くから。これもわかりやすい答えの一つです。ふだんは、そうしたことを気にも留めず、生活に追われている私たちは、宗教曲に触れて、人間的ではない尺度で世界を眺める契機を得るのだとも言えるでしょう。
 ジョン・ラターの曲にしても、メロディーはポップスのようですが、歌詞は宗教的なものですこれもどう歌うべきなのか。
 私たちが「神」と言った時にイメージするのは、きっとキリスト教の神ではないのだと思いますが、まあ、そこのところは深く問わないことにしましょう。それでもある超越的な存在をイメージして、それに感謝するような思いで歌うというのは、大きくはずれたことではないと思います。
 日本人の宗教観は、もっと自然に即したもので、おおざっぱに言えば、自然に畏怖し、自然に生かされていることを感謝するといったようなものではないかと考えまですが、そういう日本的な感覚をこめて歌うのでもいいのだと思います。
 合唱と言っても、考えていることは人それぞれで、歌にこめている内的なものはいろいろとあって良い。大きくくくれば、何かしら祈りをこめるものであれば良いのではないかという気もします。
 大地震が起きてから一年が経ちました。今なお、不安定な生活を続ける多くの人々のことを思います。感覚的には遠いのですけれども。それでも、「The Lord bless you and keep you」を歌うとき、それらの人々に神の光が当たりますようにと祈りをこめて歌うことはできるのではないかと思います。
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